創始期(平安時代) 創始者:清和源氏 源義光(850~) 清和天皇の曾孫・新羅三郎義光が、戦場の経験と人体の研究から「合気」の理を編み出したと伝えられる。甲斐武田家へ「御留技」として密かに継承。
継承の時代(鎌倉時代~江戸時代中期) 武田家の相伝(12世紀~16世紀) 甲斐(山梨)を拠点に新羅三郎の武術を代々継承。武田信玄の父・信虎の時代に「合気」の名称が公にされた説もある。武田家滅亡後、武田国継が会津へ逃れ、会津藩武田家の家伝として受け継ぐ。
中興の祖と普及(幕末~明治・大正時代) 中興の祖:武田惣角(1859~) 幕末の会津に生まれ、剣術などを極めた武田惣角が、会津藩家老・西郷頼母の勧めで家伝の大東流を公に普及。 1880年代以降、惣角は日本全国を巡り数千人の門人を指導、大東流の基礎を築く。
20世紀前半の普及と門下生 20世紀~、惣角の指導は有力者、警察、軍人へも広がる。 主要な門下生 植芝盛平(合気道開祖):1915年遠軽で惣角に入門、後に「合気道」へと昇華。 久琢磨:大阪朝日新聞社道場で学び、後に関西に広める。 武田時宗:惣角の次男。父の死後、北海道に「大東館」を構え宗家として守る。
現代(20世紀後半~現在) 現代の大東流 武田惣角の孫弟子やひ孫弟子の師範たちが、国内外に道場を設立し、技術を伝える。 多様な継承 各道場により技術の特色、合気の解釈に多様性があるが、武田惣角の教えを源流としている。武田惣角と高弟三人の出会い・流派名の変遷年表
年月
出来事
1914年(大正3年)5月12日
堀川幸道、父・泰宗とともに武田惣角に入門し、厳しい個人指導を受け始める。
1914年(大正3年)
佐川幸義(12歳)、父・子之吉が惣角を自宅(道場兼住居)に住まわせた縁で正式に入門。
1915年(大正4年)2月
植芝盛平、北海道遠軽の久田旅館で武田惣角に出会い、その技に驚嘆して即座に入門。
1920年(大正9年)
植芝盛平、京都府綾部に移住し、出口王仁三郎の勧めで自宅に「植芝塾」を開設。
1922年(大正11年)
惣角が綾部の植芝塾に約6ヵ月間滞在。盛平は「教授代理」を授与される。
1930年代前半
植芝盛平、大阪朝日新聞社などで自身の技を「大日本旭流柔術」として教授。
1931年(昭和6年)4月
植芝盛平、東京・新宿若松町に「皇武館(こうぶかん)」道場を設立(通称:地獄道場)。
1930年代後半
植芝盛平、自身の武術を「合気武道」と称し始める(1936年頃から定着)。
1942年(昭和17年)
戦時統制策により皇武会が大日本武徳会の外郭団体に統合され、「合気道」の名称を用いるようになる。
1943年(昭和18年)4月25日
武田惣角、旅先の青森にて逝去(享年84)※1
1948年(昭和23年)
植芝盛平、「財団法人合気会」を発足。現代武道としての「合気道」を確立。
1950年(昭和25年)9月20日
堀川幸道、北海道湧別にて「大東流合気柔術 幸道会」を設立。
1954年(昭和29年)1月
佐川幸義、武田惣角の長男・宗清と三男・時宗の推薦により「大東流合気武術 第36代宗家」を継承。
1955年(昭和30年)
佐川幸義、東京都小平市の自宅に「大東流本部道場(佐川道場)」を開設。
1956年(昭和31年)1月
佐川幸義、宗家を武田時宗に返上し、以降は「宗範(そうはん)」を称する。
1967年(昭和42年)
佐川幸義、他派と明確に区分するため、正式に「佐川派大東流合気武術」を公称する。
新羅三郎義光の生涯と功績について解説します。
生没年:1045年(寛徳2年)頃 〜 1127年11月25日(大治2年10月20日)
※「850年」は清和源氏の祖である第56代 清和天皇の生年(嘉祥3年)にあたります。
系譜関係:清和天皇の曾孫ではなく、6代後の子孫(昆孫)にあたります。
清和天皇 ─ 貞純親王 ─ 源経基(孫/六孫王) ─ 源満仲(曾孫) ─ 源頼信 ─ 源頼義 ─ 源義光(三男)
通称:新羅三郎(近江国・園城寺/三井寺の新羅明神で元服したことに由来)
官位:従五位上・刑部丞、常陸介、甲斐守 など
1. 後三年の役と兄弟の絆
寛治元年(1087年)、奥州で兄の源義家(八幡太郎)が清原氏の内紛(後三年の役)に介入して苦戦した際、朝廷の制止を振り切って官職を辞し、兄の救援に駆けつけました。義光の加勢により義家軍は勝利を収め、武名を天下に轟かせました。
2. 足柄山と笙(しょう)の秘曲伝授
奥州へ向かう途中、足柄山にて笙の師であった豊原時元(時秋の父)から受け継いだ秘曲「秘伝・調子」を、後顧の憂いを絶つために時元の子である豊原時秋へ吹き伝えて返したという逸話(『古今著聞集』など)が有名です。武勇だけでなく雅楽の道にも通じた教養人として知られます。
3. 常陸・甲斐への進出と武家各氏の祖
後三年の役の後は東国に勢力を伸ばし、甲斐国や常陸国に進出しました。
義光の血筋からは多くの有力武家が輩出されています。
甲斐武田氏:三男・源義清(武田冠者)の子孫(武田信玄など)
佐竹氏:長男・源義業の子孫(常陸の有力大名)
小笠原氏・南部氏・平賀氏 などの祖
武術の世界においては、合戦における人体の急所や関節の仕組みを研究した武術の祖として伝えられており、大東流合気柔術をはじめとする多くの古流武術の始祖・中興の祖として仰がれています。
・武田惣角の死:1943年、修行の旅の途中に青森県で亡くなりました。この時、堀川幸道は惣角から免許皆伝の約束を受けていましたが、印を突く前に惣角が逝去したため、後に三男の武田時宗がその約束を追認しました。
・植芝盛平の変遷:「植芝塾」から始まり、「皇武館」での研鑽、大阪での「大日本旭流柔術」時代を経て、戦後の「合気会(合気道)」へと至りました。
・佐川幸義の名称:1967年に「佐川派」を名乗る前は、「大東流合気武術」や一時期「正伝大東流」とも称していました。